厭世加速器プロジェクト

大強度良心ビームで性癖の内部構造を探る

「謎の少女、再び(迷宮)」とは我々にとって何であったか

本稿は以下の節より成る。また、本記事全文は2022年冬に出版予定の小説同人誌『迷宮のほとりで』(仮題)に収録される。

  • 「謎の少女、再び(迷宮)」とは公的には何であるか
  • タケシは何を隠蔽したか
  • 少女が謎であるとはどういうことか
  • サトシは何を追いかけたか
  • 我々とは「謎の少女、再び(迷宮)」にとって何であったか

 

「謎の少女、再び(迷宮)」とは公的には何であるか

 ポケモン映画23作の歴史の中での最高傑作を決める試みはこれまでに何度も行われており、再放送機会の均等などの斟酌を抜きにして純粋な総合点で選ぶとすれば『ミュウツーの逆襲』(1998)*1が王座を譲ることはもはやない。次に来るのは『幻のポケモンルギア爆誕』(1999)*2か、あるいは『ココ』(2020)*3だろうと思う。シナリオの面白さ、メッセージ性とエンタメ性とのバランスにおいて、故・首藤剛志氏の脚本によるミュウツー・ルギア・エンテイ*4の三作に比肩する作品は長らく現れなかった。
 しかし、本稿をお読みの諸賢は既にご存知のはずだ。ポケモン映画の評価を決める要素はそれのみではないことを。五分に満たない映像と音楽が、時として映画全編の歴史的価値を決定付けるということを。

 

 2002年の映画『劇場版ポケットモンスター 水の都の護神ラティアスラティオス*5は、そのような奇妙な評価を長くポケモンファンから受けている。興行収入は低い。話の筋書きは既に前作で確立していた「伝説のポケモンを狙う悪人→機械が暴走してみんなで止める」という、その後十五年間続くマンネリの枷。アニメにおいてポケモンが死ぬ最初のエピソード。それにもかかわらず、今日まで異常な支持を受ける伝説の傑作である。一つのシーン、いや、一つの音楽が、映画の中にあったからである。

 中古価格の高騰しているこの映画のサントラ*6上の曲名を取って、その音楽及びシーンは「謎の少女、再び(迷宮)」(英題:Search for the Girl)と呼ばれている。

 この曲は劇中で三度アレンジされて繰り返される。一度目はサトシがアルトマーレの町で謎の少女に出会うシーン、二度目はサトシが謎の少女を追って迷路のような路地を走るシーン、三度目はアルトマーレを去るサトシたちのもとに謎の少女が走ってくるシーン。「謎の少女、再び(迷宮)」とは二度目のシーンの曲名だ。これら、謎の少女にまつわる一連のシーンこそが「ラティアスラティオス」のハイライトと言ってよい*7

「謎の少女、再び(迷宮)」は美しい曲であり、美しいシーンである。だが、美しさだけが人気の理由ではない。これらのシーンには、ポケモンというコンテンツ全体の根幹に迫る、今日のポケモンの方向性を強く決定付ける、それでいて公式に明言することはできない、ある要素が深く絡みついている。本稿ではそのことについて書き留めておこうと思う。

*1:湯山邦彦劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』、東宝、1998. 07

*2:湯山邦彦劇場版ポケットモンスター 幻のポケモンルギア爆誕』、東宝、1999. 07

*3:矢嶋哲生劇場版ポケットモンスター ココ』、東宝、2020. 12

*4:湯山邦彦劇場版ポケットモンスター 結晶塔の帝王ENTEI』、東宝、2000. 07

*5:湯山邦彦劇場版ポケットモンスター 水の都の護神ラティアスラティオス』、東宝、2002. 07

*6:‌『2002年劇場版ポケットモンスター「水の都の護神ラティアスラティオス」「ピカピカ星空キャンプ」ミュージックコレクション』、メディアファクトリー、2002. 08

*7:他に、全編を通した描写の丁寧さや伏線の張り方の自然さも高く評価されている。例えばunlimited blue text archive「劇場版ポケットモンスター 水の都の護神ラティアスとラティオス」を参照のこと。

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